福寿会館

福寿会館外観01

施設概要

福寿会館は、海産物商で財を成した安部和助(あんべわすけ)氏が、昭和初期(本館は1935年(昭和10年)から1937年(昭和12年)頃まで)に建造したもので、建物は本館・西茶室・南茶室・西蔵・東蔵・洋館があり、すべて国の登録有形文化財となっている。
敷地は7,395平方メートル(約2,240坪)で、建坪は872平方メートル(約265坪)、木造平屋一部2階建て。
福山城の北東に位置し、江戸時代には福山藩の御用米を納める五千石蔵が軒を連ねていた。

本館

本館は、平屋で「数寄屋(すきや)造り」を基本に造られている。
表玄関は、「檜皮葺(ひわだぶき)」・神社を思わすような「拝殿(はいでん)造り」の「唐破風(からはふ)屋根」で、天井は一部格子状の「格(ごう)天井」。
部屋割りは、大広間・広間・玄関の間・玄関控えの間・北客室の、合計5室が客を迎える間となっている。
大広間は、21畳で、正面中央に9尺の床、右側にはちがい棚、左の棚には天袋・地袋、手前には書院があり貴人(きじん)畳が敷かれている。
大広間の続きには、14畳の広間があり、一間床の左側にびわ床がついており、南側の広縁からは、庭園越しに城を眺望できるように設計されており、特に目前にそびえる天守閣の雄壮な姿は絶景。
北の6畳間の客間は、閑静な部屋で、障子越しに眺める坪庭は、「わび」の心を誘う趣向がこらされている。

本館
本館
本館

西茶室

西茶室は、本館西側に渡り廊下を介して建てられており、本館との調和がはかられた、瀟洒(しょうしゃ)な造りの数奇屋風建築で、1940年(昭和15年)、数寄屋造りの巨匠として名を馳せた笛吹嘉一郎(うすいかいちろう)氏の建築によるもの。
利休好の3畳台目の茶室と、北側に2畳中板付茶室を配し、それぞれに水屋がついており、水屋の天井は船底天井となっている。

西茶室

洋館

洋館は、瓦葺き急勾配の切妻屋根で、外壁はモルタル造りとなっており、ヴェネチアルネッサンス風擬似窓装飾や柱の装飾などが特徴的で、昭和初期の洋式建築の様相を示している。
現在、1階は庭園を眺めながらくつろげる喫茶室・2階は落ち着いた雰囲気で行う貸会議室等として利用されている。

洋館
洋館

南茶室

南茶室は、「望城亭」と呼ばれ、表千家お家元より頂戴した名といわれおり、1942年(昭和17年)西茶室と同じく笛吹嘉一郎氏が造った建物。
東南側に玄関があり、これを入ると手前に3畳台目下座床の小間、西側に8畳の茶室を配し、裏手に水屋を置いている。
北側にも3畳の茶室があり、合計4部屋からなっており、8畳の茶室には、9尺の袋床、左3尺が袋になり、炉の位置は本勝手になっている。
庭には、外路地・内路地があり、それぞれ門・中潜(なかくぐり)・外待合・内待合・雪隠が設置。
蹲(つくばい)は2か所にあり、広間の前には下りつくばい、小間のにじり口前には古代礎石形のつくばいがある。
特に中潜(なかくぐり)は、外路地・内路地を隔てる障壁に、にじり口を思わす戸を設けたもので、この作法は江戸時代の茶人金森宗和の考案によると伝えられている。

南茶室

中庭

庭は回遊林池式庭園で、京都の作庭家西村氏の指導により、完成までに10年の歳月を費やしたといわれている。
池を中心に築山を築き、松の老木や山の草木、各地の銘石をふんだんに取り入れ、四季折々の景色を鑑賞できるように造られており、東側には滝を模し、水が深山から流れ出し、やがて大きな流れとなってゆく様を表している。
水面には遊魚石や船形石等を配し、欄干付の太鼓橋を備え,流れ込む池の形は小堀遠州好みの心字型。
庭園内には園路を巡らし、途中に門や垣根、東屋を設け変化をつくるとともに、園路の所々には様々な意匠を凝らした石灯籠が多数据え付けてある。
竹林と全景に広がる松の緑を背景に、春のつつじ、夏の青葉、秋のモミジ、冬立木、また、四季変化する花々や小鳥のさえずりに、季節の移り変わりを楽しめる。

中庭