鐘櫓(福山市重要文化財)

鐘櫓外観01

2階建て、福山城の鐘櫓で元は鐘と太鼓を吊り、1時(現代の2時間)の鐘と半時(現代の1時間)の太鼓を打っていた。
鐘櫓の鐘についてはいくらか記録があり、元は直径2尺5寸、高さ4尺5寸の鐘と、直径3尺、高さ3尺5寸の太鼓であったが、1796年(寛政8年)に破損したため鞆番所にあったものを取り寄せて以前のものは三之丸鉄御門の2階に吊ったとのことである。またその翌年、1797年(寛政9年)に摂州高津にて新調した際は儒学者山室如斎(やまむろじょさい)の銘を刻み、藩船により運び入れたこと、1825年(文政8年)には再び破損したので直径2尺4寸、高さ3尺6寸のものを新調し、菅茶山の銘が刻まれたといった記録がある。
その他時代は遡るが福山藩水野家4代藩主勝種の代に幕府直轄地であった石見国大森銀山に緊急のことが発生した場合、福山藩はただちに兵を送るよう申し伝えられている。その際は太鼓を叩き、藩士に対して半時(現代の1時間)で準備を整え、集合することとなっていたようである。つまり時を告げる以外にも緊急時に武士を招集する役割もあったと言える。
明治時代以降、たびたび補修を繰り返していたが原形を留めないほど荒廃が激しかったため、1979年(昭和54年)胴板葺きで修復。現在は鐘のみではあるが今でも1日に4回、時の鐘をついている。
1979年(昭和54年)10月26日福山市重要文化財指定。
※内部非公開

鐘櫓外観02