月見櫓
6間5間、本丸南東隅、武家屋敷の広がる南側や、町人屋敷の広がる南西入江方面も展望できる位置に築かれた2層2階の櫓。
2階部分には高欄(こうらん)付きの廻り縁(まわりえん)が備えられ、冒頭述べたように城下の様子を一望することが出来る。また本丸を守るといった意味合いから、軍事上においても重要な建物であったため、実際の機能は不明であるが1階南側に石落としが古写真等から確認でき、古い建築様式を持っていると言える。
また本来は参勤交代などの際、藩主の到着を見極める〝着見櫓〟のことであるとも言われており、事実岡山城や高松城にも同名前の櫓が存在する。更に伏見櫓等と同じく京都伏見城からの移築と伝わる。
1879年(明治12年)頃、廃城令のあおりを受け取り壊され、葦陽館と呼ばれる貸会場が建てられる。余談であるが1897年(明治30年)に最後の藩主であった阿部正桓が福山を訪れた際に、この葦陽館で元家臣らと謁見したと本人の日記に記してある。
1966年(昭和41年)天守等と共に外観復元される。
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