御湯殿
本丸南側に建てられた、名前の通り藩主が使用するための風呂場。
内部は3間半、4間半の物見の間と、3間半、3間半の御風呂に分かれる。物見の間は南面し、座敷を上中下の3段に分け、上段の間は藩主が湯上りに涼を取っていたと言われ、更に城下を眺望できるよう高欄(こうらん)を廻らせ、しかもそれは石垣上にせり出している。また中段は近親者、下段は従者の控えとなっていたようである。また風呂は現代でいうサウナのような蒸し風呂であり、本丸御殿と廊下続きであった。
初代藩主である水野勝成は本丸御殿に住していたと伝わるため、本湯殿を使用していた可能性は高いが、その嫡男である福山藩水野家2代藩主勝俊以降の全ての藩主は三之丸東側に藩主専用館を築き住しているため、勝俊以降純粋に湯殿として活用されたかは不明である。
1874年(明治7年)には元福山藩士が建物を買い取り改造、清風楼と呼ばれる料亭を開設している。またやはり湯殿も他の建物同様京都伏見城から移築したと伝わり、1933年(昭和8年)国宝に指定されていたが1945年(昭和20年)8月の福山空襲で焼失することで指定は解除となり、現在のものは1966年(昭和41年)木造により外観復元されたものである。
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