福山藩主について

歴代藩主 水野勝成から16代藩主 阿部正桓までの歴代藩主の紹介や古地図・古写真などの資料から見える
福山城の姿を「福山城デジタルアーカイブ」として紹介します。

福山藩 松平家 初代藩主 松平 忠雅

藩主在任期間

1700年(元禄13年)~1710年(宝永7年)

生没年

1683年(天和3年)~1746年(延享3年)

1683年(天和3年)松平清輝の長男として出羽山形に生まれる。1700年(元禄13年)に山形から福山への移封が決定するも、当時の福山は埋め立てを起因として大きく石高が変わっており、総検知や天領への差し引きが実施され、なかなか拝領地が決まらなかった。検知も完了し笠岡等が天領として査収されることで具体的な領地が決定、1709年(宝永6年)にいよいよ忠雅は福山領内に入るのだが1710年(宝永7年)に今度は伊勢桑名へ移封となってしまう。よってその治世はわずか10年余りとなった。伊勢桑名に移封してからは藩政改革に勤しむ等、良主として活躍する。
福山藩入封の松平家は通称奥平松平、元は奥平姓で三河の豪族であった。奥平信昌と徳川家康長女の間に生まれた家祖忠明が家康の養子となることで松平の姓を授かっており、やはり水野家・阿部家と同様に譜代大名の家柄である。大和郡山・播磨姫路・下野宇都宮等様々な土地に移封となり、最終的に入封した武蔵忍藩時代にはペリー来航に伴い江戸品川台場の守備にあたっている。